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親戚のお姉ちゃん0

2008/10/19 01:23

 俺は「真実」という言葉があまり好きじゃない。

 「真実」という言葉を口にする人がいると、大丈夫だろうかと、それは知らないほうがいいのじゃないかと、考えてしまうところがある。

 理由ははっきりしている。
 人の世において、本当の「真実」は、ほとんどの場合、残酷で冷酷で、知れば人の心の平和を無慈悲に掻き乱すような、そんなものだから。
 
 うれしい事実なら、人は頼まなくても吹聴する。
 例外もあるけど、真実は隠したいからこそ真実なのだ。
 隠したいものは、たいていは、エゴイスティックで、醜くて、知りたくもないものだ。

 家族関係の真実、男女関係の真実、人間関係の真実・・・本当のことを知れば、最悪、自我に致命的な傷を与えてしまうかもしれない。知らなきゃ良かった、と。

 これを読んでいる人は、これから俺がどうしようとしてるか、わかるはずがない。
 
 これから、"それ"を書こうか、どうか迷っている・・・。
 

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親戚のお姉ちゃんT

2008/10/19 01:21

 いや、間違いなく、理性としたら、書かないほうがいいことだ。だけど、俺の情念が「書け」と執念深く叫んでいる。

 まぁ、俺のエゴだ。エゴなんだけど、本当の真実を書くことで、俺の心がすこしは救われるかもしれない。
    
 だが、やはり迷う。キーボードが打つ指が微妙に震える・・心臓の鼓動がはやくなる。
 
 ふぅ・・・わかってるんだ、、最初から書くことに決めていることを。

 嫌な気分になりたくない人、明るい気分をダウンさせたくない人は、俺がこれから書くことをどうか読まないでください。まぁ、読んでも、だからなに?と思われるかもしれないけど。

 俺は、今、甘えている。ここの文章を読む人は少ないから、あまり多くの人の目に触れることはないだろうから、書いてもいいだろう、と。隠さなければならないことを、ここに書くことで、公の場で発言する代わりにする、つまりは、代償行為なんだろう。

 じゃあ、書く。

 俺の親戚のお姉ちゃんがいた。

 幼少期の俺の家のわりと近くに住んでいたから、我が家と、お姉ちゃんの家とは、仲良くつきあっていた。お姉ちゃんの家によく遊びにいかせてもらっていた。俺がたぶん5、6歳ぐらいのときに、彼女は高校生だった。
 
 彼女・・親戚のお姉ちゃんはとても明るくて、本当に華がある人だった。お菓子をくれたり、本当いろいろとかわいがってくれた、そんな優しい人だった。その家にはお兄ちゃんもいたけど、特にかわいがられた記憶はない。その一家は、華のあるお姉ちゃんが中心のような感じだった。

 俺たち家族は、ある事情によって、引越しをすることになったから、それからは、お姉ちゃんたち一家とは疎遠になった。
 

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親戚のお姉ちゃんU

2008/10/19 01:20

 それからしばらくして、俺の母親から、お姉ちゃんが交通事故で亡くなった事を告げられた。
 
 俺は、それを聞いて、もちろん悲しかったし、衝撃を受けた。俺の姉も、それを聞いてショックを受けた、女同士だし、俺以上の衝撃だったかもしれない。

 ただ、なんとなくだけど、子供心に違和感を覚えた、母親の様子というか、なんか変だな・・と、はっきりじゃないけど、なんとなく微かに感じた。

 これで彼女の人生は終わったし、そして、それ以上ではないと思っていたし、俺の記憶から、彼女の存在は薄れていった。残念ながら、幼少期のせいか、彼女の顔をはっきり思い出せない。ただ、彼女が明るくて優しいお姉ちゃんだということは、俺の記憶の底に確かに息づいている。

 話はこれで終わりのはずなのに、違った。真実は違った。

 彼女の存在が俺の記憶に再び蘇ったのはだいぶ後になってからだ。

 20代も半ばぐらいになってからか・・あれから、20年近く月日は流れた。

 ある日、俺の激しい性格のせいもあって、母親と談話中、俺はふとこんなことを言った。

 「俺は、どんなに嫌なことでも、本当のことを知りたい。自分だけが知らなくて、みんな知っているという状態は我慢できない。おふくろが俺に隠していることがあったら、包み隠さず話して欲しい」

 この言葉には俺なりの決意がこめられている。そしてその決意は今でも変わらない。どんなに嫌なことでも俺はそれを知らずにはいられない。まして、他の人が知っていて、自分が知らない、なんというか、能天気な人間としては、生きられない。

 そして、母親は「それじゃあ・・・」と意を決して話してくれた。

 親戚のお姉ちゃんの死についての真実を。

 つまり、彼女は交通事故で亡くなったのではない。

 自殺で亡くなったのだ。

 俺はそれを聞いて、最初の強がりが消えた。
 思わず、唾を飲み込んだ。
 俺の心には、重い衝撃が加わった。
 普段雄弁なはずの俺がうまく言葉を吐き出せなかった。
  
 「そうだったのか・・・」というのが精一杯だった。
 そして、昔覚えた微妙な違和感の正体がようやくわかった。

 それから、おふくろは知りうる真実を俺に教えてくれた。
 俺もいろいろと質問した。
 

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親戚のお姉ちゃんV

2008/10/19 01:19

 お姉ちゃんは、或る理由で悩み苦しんで、高校卒業後にまもなく自殺した。
 その理由は書けない。
 俺のおふくろが、生前のお姉ちゃんを偶然、道端で、目撃した。そのとき、おふくろは「○○ちゃん、元気?」と声をかけたそうだ。そしたら、いつもは華があって明るい太陽のようなお姉ちゃんが、しょんぼりしていて、顔は青白くなっていて、力なく「はい・・・」と答えて、うつむき加減で去っていった。

 それがおふくろが目撃した彼女の最後の姿だった・・。

 このお姉ちゃんの死にまつわる真実を、俺の両親のおじさんおばさん世代は、みんな知っている。俺のオヤジも、お姉ちゃんの葬式に出席している。その場で何が起きたかも、俺は聞いた。
 
 だけど、俺のいとこたち世代はほとんど知らない。いとこ世代で知っているのは、わずか高い年齢層のほんの数人かもしれない。俺の姉も、お姉ちゃんの死の真実は知らない。おふくろも、もちろんオヤジも俺の姉に言ってないのだから、わかるはずもない。

 ただ、俺は知った側の人間なのだ。

 自殺なんてそんなに珍しいことじゃない。
 日本じゃ年間3万人も自殺している。世界中でも自殺者は毎日のようにいる。
 それぞれの自殺者の遺族は、自殺した人間の数だけ、残された人間の悲しみを胸に宿して生きているのだろう。

 俺自身にしたって、何度も死にたいと思ったことはある。もしかしたら、死んでたかもなというシーンもある。

 もちろん、今更死ぬつもりはない。まぁ、人間いつ死ぬかもわからないのだから、わざわざ死ぬつもりもねえよなと、開き直っても居る。
 
 ただ、完全に自殺願望を無縁とは言い切れない。本当の窮地に追い込まれれば、そういう願望は呪いのように俺を焼き尽くそうと浮かぶかもしれない。それは、わからない。

 だから、自殺がそれほど特別な行為じゃなくて、俺も自殺者の心理ぐらい、わからないわけじゃない。

 だが、ちがうんだ・・・この場合は、お姉ちゃんのケースは。

 俺が何をやりきれないと感じているか、ここにずっと我慢してきた感情を吐き出さなければならないのか。

 つまり、本当の真実・・彼女が自殺で亡くなったってことが隠されてしまったことが、俺はどうしようもなく悲しい。本当にやりきれない思いがする。お姉ちゃんがかわいそうでならない。
 

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親戚のお姉ちゃんW

2008/10/19 01:17

 もちろん、自殺を交通事故にすり替えた大人の事情もわかる。俺が同じ立場ならそうしたろう。

 でも、それは、要するに、お姉ちゃんの気持ちじゃなくて、残された人間たちの世間体を守ることでしかない。

 親戚一同で集まっても、もはやお姉ちゃんのことなど話題にものぼらない。

 冷酷な扱いだ。一族にとってのタブーなのだ。

 お姉ちゃんの死は悲しい。明確な死因なら、誰もが死者の心に通じられる。死因が隠されれば、死者の心に至らない。両親おじさんおばさんたちの葬式に参加したとしても、お姉ちゃんの死に比べれば、どれも悲しいものとは思えない。死因は後世に語り継がれるから。

 俺にとっては、お姉ちゃんの死の真実は、どうしようもないジレンマというか、人生の不条理になっている。
 
 しかし、どうにもならない現実がある。俺にはどうしようもないし、そもそも彼女の悩み苦しんだ心を救ってあげられるだけの術が見つからない。
 
 親戚一同全員の前で、彼女の真実をわめきらしてみようか。
 まぁ、そうしてしまえば、その瞬間から、俺は狂人扱いされるんだろうな。

 歴史の中では、多くの隠したい真実が、深い海の底に沈められてきた。深海の底にいってしまえば、あまりの暗闇で誰にも気づかれることはないのだから。

 これを読んでくれているあなたにも、隠さなければならない真実があるかもしれない。それを、やりきれない不条理だと感じるでしょう。俺も素直にそう思います。
 
 明るくて、まるで太陽のようにあたたかい光を放っていた、親戚のお姉ちゃんは、
雪が無情に降り積もる真冬に、北の大地で死んだ。厳しい寒さが、余計に彼女の心を絶望的な心象へと追い込んだのかもしれない。

 真夜中に、マンションから飛び降りて、若い命を散らせた。

 この文章をもって、お姉ちゃんへの追悼文に変えさせてもらいます。

 そういえば、俺は引っ越した新しい家で、死にかけたことがある。
 もともと気管支が弱い俺は、食後のデザートとしてだされた赤黒く完熟した果物のプラムの汁を気管支に詰まらせて、気を失った。

 死ぬはずの最後の瞬間を今でも覚えている。
 
 だが、助かった。おふくろが懸命に俺を救助してくれたからだ。
 俺はもともとあのときに死んだはずの人間なのだ。
 死んでいても不思議じゃないのに、まだこうして不思議と生きている。
 

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